輸入車は、高い! メンテナンスが大変! などなど・・・いろいろと言われていますが、
はたして、その高い値段と手間は、所有に値する意味があるのでしょうか?
輸入車に乗っている自分をもう一度見つめ直してみました。
ステイタスシンボル? 自己満足? 自己表現? 他人との違い? などなど・・・
それもないとは言いませんが・・・・そうじゃないんです。
ぶっちゃけ、いいなぁ〜って思う日本車がないんです(>_<)。
いろんなクルマを見ていって、「これはっ!」と思うクルマを選ぶと
必然的に外国車になってしまうんです。
国産車に魅力的なクルマもあります。ありますけど・・・
でも、どこか違うんですよね。
なんなんでしょうか?
あと・・・アメリカ車にも魅力を感じません。
やはりヨーロッパ車なんですよね。
何故でしょう?
そんなにクルマに詳しい訳ではないので
独断と偏見がかなり入っているとは思いますが、
やはりクルマというものの生い立ちから考えると、ヨーロッパ車には、
階級社会の名残とでも言いますか、無言のクラス分けみたいなモノが、
綿々と息づいている・・・そんな気がします。
具体的に言うと、似合わない人間が乗ると、滑稽なものに映ってしまう。
その人のスタイルや考え方などがとっても大事な要素となって、
クルマ自身が乗る人間の質を求めてくるって気がしてしょうがないのです。
国産車は、最初から多くの人に気に入ってもらい、多くの人に買ってもらう、
それを前提としてつくられている、そんな感じですよね。
だから、似合わない人が極端に出ないように、そう開発されていると思います。
いわゆる大衆車ですよね。それがクルマ会社の存続の基本にもなっています。
そう考えると、若い青年がクラウンやセルシオを乗り回していても、
「あ〜そうなのかぁ〜」って感じで、そんなに違和感ないし、
お年を召した方がマーチに乗っていても、別に気にもとめない?! ですよね(^^)。
昔、ホンダ車に乗っていると、頭が良さそうな、いいところのお坊ちゃんに見えるって、
そんな話がありましたが・・・今は、車高を下げたオデッセイやステップワゴンに代表される、
どちらかというとマナーの悪い若者の御用達みたいな雰囲気があって、そうなるにつれて
ホンダのクルマもつまらないものになってしまった様な気がします。
ホンダさんごめんなさいm(__)m。でも率直な気持ちです。
話が横路にそれましたが、階級社会の名残を微妙に残すヨーロッパ車も今は、大衆車が会社存続の基本にはなっているのでしょうが、たとえ大衆車であっても似合わない人はとことん似合わない気がします。逆にその人らしいなぁ〜って思えるクルマを皆さん選んで乗っているんではないのでしょうか?。
日本人も裕福になって、輸入車を簡単に買えるようになりましたし、シブヤさんのように、欲しいというクルマを探してきてくれる業者さんもいます。
だから、お金さえ出せば、どんなクルマも手に入る時代ですが、でも、ヨーロッパ車は買えないクルマが沢山あります。経済的な問題だけではなく、ライフスタイルや考え方、もっと言っちゃうと思想みたいなモノまで透かされちゃうような、そんな怖さがあります。自分の身の丈にあったクルマじゃないと・・・やはりクルマが浮いてしまうのです。
最近、欲しいなぁ〜って思うクルマがないって思っていましたが、
それは逆に自分の身の丈にあったクルマがないからなんですね。
ということは、もっともっと自分を磨いて成長しないと、
本当に欲しいクルマが出てこないのかも知れませんです(>_<)ヽ。